「片付けのシナリオ」セッションをしています。

お1人おひとりの理想の部屋をしっかりイメージし、そこに向かうための現実的なタスクを一緒に考えて実行していただく「片付けのシナリオ」というセッションをしています。遠方からzoomで受けてくださった方から嬉しいご感想をいただきました。

 

Oさんは、課題のひとつに「お子さんがランドセルを置き場に戻さないこと」がありましたが、セッションから1ヶ月たった先日、置き場の環境を改善されるとともに、お子さんがモチベーションを高めるために「スタンプ帳」の制作をひらめいて勧め、お子さんが喜んでそれを実践された、ということを教えてくださいました。(写真はご本人の了承をいただいてアップしています)

 

工作が好きだというお子さんに、どう働きかければ楽しんでやる気を高めるのかを考えて促したことがよくわかる工夫で嬉しくなりました(私も真似したい)💓

ほかにもお子さんたちの収納スペースを見直し、ものを減らせたことや、今まで片付けていなかった部分に手を入れたことにより、心もスッキリしたとのご感想をいただきました。

 

ここ数回のセッションでは試験的に、実施後も数ヶ月間のやりとりさせていただき、状況を伺うとともに、さらに生じた課題や不明点があればご提案するアフターフォローもしていました。 その結果「また連絡いただけることが良いプレッシャーとなり、家族も巻き込み片付けに励んでいます」「自分で進める中では思いつかなかった順番・方法も教えていただいて、目からウロコでした」などのご感想をいただき、アフターフォローが継続への力になることがわかったので、メニューに加えてみました。

 

片付けに限らず行動の指針を立てて楽しい方向に向かっていく「行動のシナリオ」というセッションもしています。 9月以降でご予約承ってますので、ご興味のある方は「片付けと行動のシナリオ」のページをご覧の上、お気軽にお問い合わせください。

「部分メンター」を持つということ。


こないだ友達と話していて「メンター」という言葉が響いたのでブログに書くことにしました。
メンターとは、「お手本となる人」「ときに助言をくれる指導者」などという意味の言葉で、私も何人か勝手にメンターとしている人がいます。

私のメンターは1人だけではなく、片付けのスタンスはこの人、食事の摂り方はこの人、写真の撮り方はこの人、というように、ジャンル別に、それぞれ複数います。
お酒を飲んでからの切り上げ方とか、人への箸の渡し方とか、とても細かい部分のメンターもいます。
周囲の人のほかにも芸能人、文化人など直接知らない人の発信をメンターにすることもあります。

そして、もちろんメンターのあり方をそっくりそのまま真似するのではなく、その人のあり方の「こうなりたい」という要素を抽出して、自分にフィットするように落とし込んでから行動に反映しています。

たとえば「食事の準備がかったるい」と思うときは、いつもおいしそうな料理を楽しくしている友達のブログを思い浮かべます。「掃除が面倒」と思うときは、水拭きをルーティンにしている取材先の方を思い浮かべます。すると、私もこうありたかったんだ!と思い出して、「面倒くさい」というエゴの声を振り切り、行動に移すことができます。

メンターを持つ=その人に依存するとか、自分軸を失う、ということではないと思うんですよ。
たしかに、メンターを1人に絞ると、その人に依存したり。逆にちょっとでも自分と合わないと思うところを知ると、勝手に失望したりするようなこともあると思います(私もそういうことがありました)。そもそも、他人の全てを把握するなんてことは無理な話なのですがね。

1人の人=1つの色に執着するのではなく、世の中を見渡してみて、自分が心から好きな色を切り取って、自分という貼り絵を作り上げるような感じでしょうか。

「本当はこうありたい」という魂の叫びを大切にして、「どうせ無理」「自分なんて」「面倒くさい」というエゴの壁を打開して行動していくと、毎日が快適でワクワクするものになるなーと実感していて、そのために部分メンターを持つことはひとつの手だと思います。
エゴの壁って悪者ではなく、自分を守ってくれるシェルターにもなるものなので、守りに入るときは大切だけど、変わりたいときは打開することも大切です。